2012年4月16日掲載
南モンゴル通信
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「アジアの自由と民主化のうねり〜日本は何をなすべきか〜」にダイチン幹事長が参加
本年3月31日〜4月5日の間、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相が初来日した。
それを記念して4月3日に国家基本問題研究所は、東京都千代田区の憲政記念館で、シンポジウム「アジアの自由と民主化のうねり:日本は何をすべきか」を開催した。シンポジウムでは、ロブサン・センゲ首相以外に、世界ウイグル会議のドルグン・エイサ事務総長、モンゴル自由連盟党のオルホノド・ダイチン幹事長もゲストスピーカーとなった。ロブサン首相は、民主化運動の広がりについて「ジャスミン革命の拡大からわかる通り、人々は自由を求めている」、「中国統治下のチベットで続く僧侶の焼身自殺は、チベットに置かれた厳しい状況に世界の目を向けさせ、支援を訴える行為だ」と述べた。さらに「我々は非暴力と対話による解決を望んでいるが、手詰まりだ。中国が対応を変えないと状況は変わりない。チベット問題の解決には中国自身のみの政治システムである、即ち中国の民主化が不可欠だ」との認識を示した。同時に、首相はダライ・ラマ法王の中道のアプローチを強調し、高度自治を求めることを示した。
また、世界ウイグル会議のドルグン・エイサ事務総長は「中国政府が実施しているいわゆる民族政策は、ウイグル人に対する言葉・言語・文化をはじめとした同化政策である。我らは勿論中国の民主化を望んでいるが、それこそがウイグル人の問題を解決することではない」と述べた。さらに、モンゴル自由連盟党のオルホノド・ダイチン幹事長は「過去における我々の政治史と文化についての理解は、モンゴル人自らによる研究によって新しくなりつつある。数十年前、モンゴル人は幾つかの大国の力によって分散させられたが、南モンゴル人は日本人と連携して独立や自決を求めていた。そして第二次大戦後にも自決や独立の道へ歩んでいたが、中国共産党に騙された。この60年あまりの歴史において、南モンゴル人の言葉、言語、文化及び生存環境など、全てが消されてきたのである。危ない国――中国の近隣国である日本は、経済力や民主主義、自由の面でアジアでの先頭になる国家である。日本が中国民主化に対して働きかけるのは素晴らしいことである」と述べた。さらに、幹事長は「日本には、南モンゴルから来た留学生や知識人が何千人もいる。しかし彼らが故郷に帰った際、中国政府によって何かの圧力を受けるため、日本滞在中も南モンゴルの政治運動に関心が持たない振りをしている。具体的に言えば、もし彼らの就職やビザに対して、日本が緩和的な態度であれば、南モンゴル人の民族自決や人権問題に向け頑張る青年が増えていくことだろう」と語った。
ロブサン・センゲ首相は、モンゴル人とウイグル人の未来について、または三民族が如何に団結して、中国共産党に対応するかについて、自分の認識を述べなかった。
中国政府、または中国共産党は、南モンゴル人に対して、全ての資源を無理やりに奪い取り、現地に居る人権活動家や作家に強く圧力をかけ、相次いで逮捕し、拷問してきた。一方中国共産党は、モンゴル国に経済的圧力をかけたり、モンゴル国の政府の役人や議員を金で買収したりして、同国政府を利用する形でも南モンゴル人の人権活動や自決活動を圧迫している。今年の3月22日に、所謂「内モンゴル自治区」の書記の胡春華が常務会議を開いて、内モンゴルの「民族職業高等学院(唯一のモンゴル高等学校、蒙文専科学校)」を漢人学校と合併する決議を言い出した。その学校は現在すでに“紅頭”の「公文書」を受け取り、9月前に合併することになった。残念ながら南モンゴルの知識界や教師たちは銃を持つ共産党に対して何も言えなくなっている。こうした圧迫に抵抗する意識は、特に海外在住のモンゴル人知識人において弱々しくなっている。南モンゴル地域の現実や歴史は、更に一層残酷な事実へ歩んで行きつつある。(広報担当:トンラガー)