十数年前、友人宅にて「明け行く満蒙」と記された、灰皿を見た。聞けば、靖国神社境内での骨董市で購入したという。かつて日本が、満州そして内蒙古へ開拓団を送り出した頃の記念品ではないかと思う。
満蒙開拓については、「満蒙開拓青少年義勇軍」を題材にした番組などで、戦後世代も概略知る人もいると思う。
ただ、結果は、大陸からの帰還、また、それを果たせなかった日本人の悲劇となっただけに「二度と子供達を戦場に送り出してはいけない」という反戦的、ともすれば自虐的になりがちな面も否めない。 勿論、広義での「反戦」は、人類共通の認識であろう。
極論だが、あの中国にせよ、牙や爪を見せ、それを使用する意思を見せ、軍事的戦闘行為以前に勝つ戦略を立てており、これも戦闘回避という意味においては、「反戦」ともいえる。捕食者として「いかに自己のリスクを軽減し狩をするか」が中国の「反戦」だ。対する戦後、日本での「反戦」は、米国という「生簀」にいることを深く考えず、捕食される立場に身を置き、「平和」を唱えてきた。一口に「反戦」といっても、質は千差万別である。
さて、満蒙に話を戻すが、今年、1月8日、在東京中国大使館前で、南モンゴル人による抗議活動を行う一報が入った。 「南モンゴル」とは、日本人には「内蒙古」という言い方が通じるかもしれない。
「満蒙」の「蒙」が、南モンゴル、つまり現在の「内モンゴル自治区」である。 この抗議行動は、一党独裁国家「中国」からの弾圧を受ける南モンゴル人の人権活動家「ハダ氏」の釈放を求めるものだ。
【南モンゴル民主連盟代表 ハダ氏】
中国による、チベット人弾圧が問題化し、北京オリンピック聖火リレーにおいて聖火が通過する国々で抗議行動が起き、その後起きた、ウイグル人弾圧により、日本でもチベットやウイグル(東トルキスタン)での弾圧を知る人は多いが、南モンゴルはあまり知られていない。
しかし、南モンゴルでの弾圧は、チベットよりも歴史が長く、殊、現在の中共となってから60年の間、民族浄化により、漢民族が80パーセントを占めるに至ったといわれている。
南モンゴルが歩んだ道を、簡単にまとめると以下のようになる。
■ チンギスハーンによるモンゴル帝国
■ 大帝国となった「元」が、中国を支配
■ 「元」の衰退により、モンゴル高原に戻り、「北元」となる(中国は「元」から「明」が支配。明は、万里の長城を延長する)
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モンゴルは、大きく分けて、西部のオイラトモンゴル(現在のカザフスタン辺り)、ハルハモンゴル(現在の、モンゴル国)、南モンゴル(現在の内モンゴル自治区)の三派となり権力闘争が起きる。
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南モンゴルは、満州族(女真族)と共に「明」を倒し、中国は満州族が支配する「清」となる。その後、清は、モンゴルをも制圧。モンゴルは独立を消失。
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「清」が衰退し、1911年辛亥革命により「中華民国」が成立、このときにモンゴルが独立宣言をし、南モンゴルも合併を申し出。モンゴル解放戦が行われ、中華民国軍を追放するもロシアにより失敗、その後、外蒙古、内蒙古と分けられ、外蒙古は、ロシア以降のソ連の援助により、「モンゴル人民共和国」として独立(実質、ソ連の衛星国)。その後、一党独裁を放棄し、現在は「モンゴル国」となっている。
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日本は、日清戦争、日露戦争を経て、満州での租借兼を得たが、清朝滅亡、中華民国の成立により、租借先が不明瞭となり、1939年、清朝皇帝溥儀による「満州国」、内モンゴルは「蒙古連合自治政府」の成立を援助した。
■ 1945年、ソ連軍の侵攻により「満州国」「蒙古連合自治政府」崩壊。
■ 国共内戦により、中国は「中華人民共和国」となり、南モンゴル民族運動は、徹底的に取り締まられている。
【中華人民共和国現勢図 赤い部分が南モンゴル】
中国の軍拡と台頭により、日本国内も、「平和ボケ」からの覚醒が感じられるようになってきたことにより、中国から弾圧を受ける民族解放運動も表面化してきた。その一人である、モンゴル自由連盟党幹事長のオルホノド・ダイチン氏の言葉を紹介したい。
日本は、アジアの中にあって、唯一、中国と対抗できる大国。かつて、日本は「満州国」を独立させた。南モンゴルも独立したかったが、一歩手前で、終わってしまった。
中国は、支配地域において民族浄化を行い、今日の南モンゴル、ウイグル、チベットは、明日の台湾、明後日の日本となる。日本は、何のために経済大国になったのか。アジアは、日本にもっと強くなって欲しい、強くなって、中国を止めて欲しい。
なお、ダイチン氏によれば、中国から飛来する「黄砂」について、モンゴルの遊牧が原因と、世界に情報をばら撒いているが、実際には、中国政府による、農業政策失敗の言い訳として使っているという。
【左、モンゴル自由連盟党幹事長のオルホノド・ダイチン氏と安倍晋三元総理大臣】 H22.11.14撮影
悠久の歴史において、モンゴル民族は、ゲルマン民族の大移動の元となった、フン族(匈奴)の移動や大帝国「元」の興隆と滅亡。 その後、満州族による「清」との共闘から制圧されることになり、結果、モンゴル族末裔にとっては、非情なほどに過酷な現在となった。しかし、歴史のどの時点においても、当時の選択肢は、それしかなかったのだろう。
今を生きる、モンゴル人にとって、主権を奪われたことが、如何なるものかを、歴史的に新しい、日本が満蒙に携わった時代とその後の東アジアの変遷を鑑みれば、自己のみの平和を求めてきた反戦平和の根本である「戦争に巻き込まれたくない」から、「戦争を防ぐ自らの力の保持」へと、意識転換が迫られている。
http://mizuhonokuni.sblo.jp/article/42504148.html
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