モンゴル自由連盟党

 

 

処刑されたテンダーを記録する

2011年12月31日掲載

 

  

 

  

  

 テンダーのむごたらしい死から2年半になった。ここに書くテンダーの物語が本になるのは、彼の惨死から3年になるころかもしれない。
人々はまだ彼を覚えているだろうか?
移動公司で高収入を得ていたあのラサの大きな男性を。元々、2008年に結婚するつもりだったあのラサの大きな男性を。時には友達とバーに集まるのを好み、時には母親に付き添って巡礼に出かけていたあのラサの大きな男性を。彼は28、29歳ぐらい。丸顔でがっしりした体格だった。



 

ラサに戻りさえすれば、私はいつも「テンダーを知っていますか?
3.14(2008年3月14日にチベットで起きた騒乱)で軍人に殺されたあのテンダーを?」と尋ねていた。誰もが「知らないわけがないだろう、移動公司の彼はひどい死に方をした」と小さな声で答えた。

退職したあるおばあさんはテンダーの母親を知っていた。「この2年、テンダーの家族は厳しく監視されている。みんな彼らに同情しているけれど、敢えて接触しようとはしないね。テンダーのお母さんは精神的におかしくなってしまった。コルラ(右遶)をしている時、心の優しい人が慰めようとしても、怯えたように急いで避けるんだ。テンダーのお父さん、ああ、継父なんだけど、捕まったって聞いてるよ。一緒に親戚が一人捕まったらしい。二人がテンダーの死に際の惨状や鳥葬の様子を撮って、こっそりダラムサラに送り、チベット人が血なまぐさく鎮圧されたことを世界中の人に見せたんだと当局は疑っていたから。ああ、あのビデオがどれだけ大きな危険を冒して送り出されたのか、まったく想像できないよ」。

ある若者はテンダーをよく知っていた。彼はこの事を深く考えたくないという。「テンダーはあの日、あのようにした。自分の身に置き換えてみると、僕もああしただろうと思う。でも、もし僕がテンダーと同じように黙って見ていられず、あの軍人に『やめろ、お年寄りを殴るな』と言ったら、僕も間違いなくテンダーのように痛めつけられて殺されたろう」。彼は少し間を置いて、声を突然かすれさせた。「むしろ、あの場であいつらにテンダーを殺させた方が良かった」。彼は涙がこぼれないよう顔を上に向けた。

3・14後に捕まったチベット人が受けた残虐な暴行を記録した7分の短い映像が2009年3月末、YouTubeにアップされた(http://www.youtube.com/watch?v=Y_QqujR6veA&feature=player_embedded)。その一場面では、全身を殴打されたチベット人、真紅の袈裟を着た僧侶が地面に伏せ、少しも動かなくなっていた……。耳をつんざく打撃音に、武装警察の「伏せろ!伏せろ!」という叫び声、チベット人警官がチベットなまりの中国語で「もういいだろ……」となだめる声、男の子の悲しい泣き声が入り混じる……。そしてもう一つ、テンダーに関する場面がある。

当時ラサにいたチベット人がテンダーの不運を私に書き送ってくれた。しかし、あまりにも悲惨だったのでずっと信じられず、心を引き裂くこの短編映像を見て、ようやく事実だと信じざるを得なくなった。文章はこう書かれていた。

「テンダーは自治区移動公司顧客部のマネジャーだった。3月14日、仕事で出かけた時、彼は数人の武装警察が老人をめった打ちにしているのを見て、我慢できずにやめるよう頼んだ。武装警察は手を振るとテンダーに向けて発砲し、軍車両で連れ去った。

彼の母親はセメント工場を退職した医者で、あちこちで息子の行方を尋ね回り、二十日以上たってようやくチベット軍区総医院で探し当てた。しかし、目の前の光景は悲惨で見るに堪えないものだった。

血だらけになったテンダーはビニールシートのようなものでくるまれ、脚は包丁で切り刻まれたかのようで、皮と肉は裂けていた。尻の肉はえぐられ、腐乱して虫がわいていた。腰は武器で打たれて黒くなり、腐乱していた。背中と顔は傷跡が連なり、タバコによるやけどの跡もあった。一部の傷口の上にはセロテープが張られていた。

軍区総医院はラサで最高の病院だが、まったく治療をしていなかった。たくましかったテンダーは既に痩せこけて骨と皮だけになり、息も絶え絶えになっていた。残酷な刑の実情を話さないよう、なんと喉も切られたという。この間、彼らが一体どんな恐ろしいことをしたのか、誰にも分からない。

悲しみで胸が張り裂けそうになった母親は、急いで息子を自治区人民医院に転院させた。応急手当では、腐乱した大きな肉のかたまりをやむを得ず切り取った。テンダーの傷は重く、回復する力は既になく、デブン僧院近くのセメント工場の自宅で、母親が最後の面倒を見るしかなかった。苦しみは6月19日まで続き、北京五輪の聖火リレーがラサに来る1日前、3カ月以上の責め苦の末、テンダーは死んだ。

彼が死ぬ前、関係部門の者が家族に『四十九日の法要をしてはならない』と特別に警告した。しかし、家族はそれでも法要を開き、数百人のチベット人が哀悼をささげた。多くの人は同情と怒りを抱いた見知らぬ人だった。

テンダーの母親は悲痛極まる様子で泣きながら訴えた。『私は息子の死のせいだけで泣いてるんじゃなくて、息子が受けたひどい暴行のせいで泣いてるんです。母親として、私は息子が受けた苦しみや痛みをまるで想像できない……』。聞くところによれば、鳥葬の時、なんとテンダーのかかとから、打ち込まれた釘が見つかった」

私はYouTubeの短編映像からテンダーの生前の写真と惨死前の写真を切り取り、上の文章とともにブログに発表し(http://woeser.middle-way.net/2009/03/blog-post_21.html)、とても大きな反響を呼んだ。あるコメントはこう書いていた。

「今回のチベット大虐殺を記録しなければならない!数十年前、強制収容所の犠牲者を目にした連合軍総司令官アイゼンハワーがその光景を撮影するよう命令し、周囲の村のドイツ人を呼び集め、死者の埋葬を手伝わせたように。この行動の理由は、彼が述べた言葉の中にある。『今これを完全に記録しなければならない。できる限り多くの写真フィルムを手に入れ、より多くの目撃証人を集めなければならない。なぜなら、今後の歴史のある時期に、一部の愚か者がこれらすべての出来事はまったく起きていなかったと言うだろうから』」案の定、言われた通りになった。

短編映像が公開された後、まず新華社が英文ニュースを発表し、「この映像は違う場所、時間、人物を寄せ集め、昨年3月14日の騒乱で警察を襲撃した『暴徒』が警察に殺されたとの『嘘』をでっち上げたことが専門家によって分かった」と述べた。更に彼について「自宅で裁判を待っている時期に『病死』しており……傷口はすべて偽物」、そして「この映像を出した目的は、『3・14騒乱の真相を隠す』ため」と説明した。
http://news.bbc.co.uk/chinese/simp/hi/newsid_7960000/newsid_7962900/7962915.stm
中国政府はすぐさまYouTubeを遮断した。YouTube上のこの短編映像もいったんは削除された。語るに落ちるとはまさにこのことだ。

では、軍と警察の手により、古代中国のあの残虐な刑で殺されたテンダーという若いチベット人は果たしてラサにいたのかどうか?この2年以上、私は幾度となく答えを求めてきた。だから必ず、「今これを完全に記録しなければならない」。あの短編映像こそ動かぬ証拠だというのに、テンダーの生前の写真が既にネット上にあるというのに、恥知らずの彼らは「これらすべての出来事はまったく起きていなかった」とわめいているのだから。
 

 
 

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