中国政府は、社会主義・共産主義的「平和的決起(和平崛起)」と言いながら、平和を否定し、平和を破壊する方向へ行きつつある。2008年には中国政府がラサで「3.14事件」を演出することに「大々的に成功」し、続いて、2009年7月にはウルムチで「7.5事件」を発動した。そして、南モンゴル地域でも、一貫して、いわゆる「極端な民族主義者」や「(中共の)政治的見解に同意しない者」たちを留置し、拷問し、逮捕してきた。このように、モンゴル人とチベット人及びウイグル人に対して、社会主義的なファシズムを相次いで発動しているのである。
1.中国政府は、南モンゴル(内モンゴル)地域で、2009年10月に、イケ・ジョー・アイマッグ(盟)(オルドス市)における「モンゴル・チベット医学専門学校」の校長であったバト・ジャンガー氏を、モンゴル国のオラーン・バートル市で、非合法的に逮捕して、中国へ強制的に連れて去った。その事件から半年間たって、またモンゴル人を逮捕しはじめた。南モンゴル地域のソド(Sod)氏は、国連が開催する国際原住民会議に、南モンゴルの代表者として参加する目的で、2010年4月18日に、アメリカに行く予定であった。しかし、彼が2010年4月18日に、出発する直前、北京の国際空港で、中国政府に非法的に妨害された。アメリカの南モンゴル人権情報センター(SMHRIC)からの情報によると、センター長であるエンヘ・バト氏は、「当日、我らがニューヨークの空港に迎えにいったが、ソド氏と会えなかった。空港便号を確認した上、空港会社の責任者から確かめたが、ソド氏は、北京の空港で、飛行機に乗れなかったことが分かった」と答えた。また、「ソド氏の住宅に連絡したが、彼の奥さんは圧力を受けているよに感じられた」と言った。同時に、「中国の『国保』(警察の種類、国家安全保護と言う意味)が、ソド氏の住宅に非合法的に進入し、パソコンなど個人的な財産を奪い取った」と言う情報も出された(Radio Free Asiaの報道より)。
2.ソド氏は、1965年、南モンゴルのジョー・オダ・アイマッグ(盟)(オラーン・ハダ市)のオンヌード・ホショー(旗)に生まれ、1985年に林東師範学校を卒業して、遼寧省朝陽市(1949年以前は、南モンゴルの地域であった)の師範学校に就職した。のちに、通信大学で遼寧省教育学院のモンゴル言語・文学学部を卒業し、また遼寧大学の歴史学部などで学習して、1991年から今まで、朝陽市教育学院の教育研究室に「教育・教学研究員」として在職している。朝陽市は、元は南モンゴルの地域であったが、その地域の原住民としてのモンゴル人は、文字と言葉を失い、すでに強制的に同化させられた。ソド氏は、就職してからの24年の間、遼寧省に在住するモンゴル人たちの帰属意識やアイデンティティーを取り戻させることに没頭し、努力してきた。
彼は、2001年から南モンゴル地域の原住民の生業、環境、人権などに関するホーム・ページ「情景草原(Elegen Hairt Eh Oron)を立ち上げて、モンゴル人の生業に関わる情報をモンゴル人たちに広め、2002年8月には「モンゴル・チャットルーム(Mongol Yarilchaanei Uree)」、「モンゴル・ゲル(Mongol Ger)」を立ち上げ、言論に制限がある南モンゴル人たちに、自由な発言が行える空間を与えた。2002年12月には「モンゴル・ゲルネット聯盟(Mongol Ger Holboolol、蒙古包網盟)」を立ち上げ、モンゴル語と漢語で情報を発信し、2004年からはモンゴル語で発信するようになった。そして、南モンゴル地域におけるモンゴル人たちに関する土地問題、人権問題、環境問題、教育問題、法律問題などの情報を発信し宣伝してきた。同時にチャットの仲間に呼びかけ、経済的に貧困な小中学生のためにカンパを募り、寄附していた。
また、2009年5月1日から、南モンゴル地域で、「内モンゴル自治区モンゴル語言・文字における事業条例」を2万分印刷し、各地域へ宣伝した(ソド氏の「友達とのチャット」より)。ソド氏は中共朝陽市委員会の宣伝部のネット・ワーク管理中心(網絡管理中心)に呼ばれ、「ある人々が告発したことによると、このネット・ワークは、民族を分裂する意識の基地であると言われている。民族分裂活動に関わる内容があるのか」とも問われたことがあった(ソド氏の個人QQ-Blogより)。2009年10月1日、中国が建国記念の60周年の際、ソド氏の「モンゴル・ゲルネット聯盟」と「モンゴル・チャットルーム」が当局によって強制的に閉鎖され、のちにも、しばしば閉鎖されたり、再開されたりするようになった。しかし、ソド氏は、中国政府からの卑劣な恐喝と迫害に屈せず、自分の活動を継続して、モンゴル人の尊厳を守ることに努力してきたのである。
3.中国政府は、南モンゴル地域において、環境と生業を迫害したばかりでなく、モンゴル人たちの言論の自由と幸福を無残に奪い取り、いたるところで、スパイや密告者を配置し、モンゴル人社会の正常な運営を混乱させている。新華社の報道によると、ジリム・アイマッグ(盟)(通遼市)の開魯県の公安局の党委書記、局長である劉興臣氏は、記者たちの取材に対して、「我らには、巨大な密告者(線人網絡)があって、社会において発生する抵抗や異議に、高度に反応できる」、「開魯県の公安局に掌握されている密告者は12,093人である」と言った。この数字は開魯県において、実に成人25名に1人の密告者がいると言う事実を示しているのである。
また、内モンゴル自治区公安庁の庁長である趙黎平氏と、中国国家公安部の部長である孟建柱氏の講話によると、中国共産党政権やその厳密な政治的コントロールによって、「内モンゴルで、不法分子が何かをしようとしている間に、我らがすぐに打ち破る」ことであり、「各民族の人民・群衆は、共産党とともに一緒に歩み、中華民族の一員であることを認めること」と言った。将に現代における新たなファシズムの姿を現したのである。
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