4月16日、私は岐阜大学在学のモンゴル人留学生たちによって挙行された第三回目のチンギス・ハーンのお誕生日のお祭りに参加しました。これは、私の43年間の人生の中で参加した第三回目のチンギス・ハーンの祭典でもあります。
チンギス・ハーンは、全モンゴル人が敬愛している偉大な英雄・祖先です。チンギス・ハーンのお誕生日は、全モンゴル人が必ず祭祀するお祭りですし、モンゴル人の伝統文化の一部です。しかし、中国の領土になった南モンゴルではこのお祭り、この伝統文化が禁止され、消滅させられています。モンゴル人は、自分の土地で自分の祖先を祭祀することまで禁止されています。
なぜモンゴル人はチンギス・ハーンを祭祀するのでしょうか。また、なぜ中国人はこれに反対し、中国共産党はチンギス・ハーンを祭祀することを禁止するのでしょうか。
1206年にチンギス・ハーンがモンゴル帝国を築く前は、各モンゴル部族は分裂しお互いに略奪し合い戦いが絶えず行われてきました。さらに、隣り合った中国人、女真人はモンゴル人のこのような状況を利用してモンゴル草原を襲い、侵略していました。チンギス・ハーンの先祖であるアムバガイ・ハーンまで捕まえられ、拷問を受けて殺されました。モンゴル人はチンギス・ハーンに統一されてから強盛となり、奪われた草原を取り戻し、各集落が団結し自然環境を守りながら平和な生活を過ごすようになりました。
モンゴル帝国の4番目の大ハーンであるモンケハーンがなくなって、1260年に南モンゴルのドローンノールの地にフビライは自派の大集会(クリルタイ)を召集し、そこでハーンに選出されました。しかし、カラコルムのモンケハーンの大オルドで弟のアリクブガもまたハーンに選出されたのでした。この結果、二人のハーンが同時に立ってモンゴル帝国は真っ二つに分裂し、後にジュチの子孫の黄金オルド・ハーン国、チャガタイ・ハーン国、フレグのイル・ハーン国とフビライの建てたダイオンイェケモンゴル(大元大モンゴル、以下元朝)国の四つの継承国に分裂する端緒となったのでした。
さて、元朝の実権を握っていたフンギラト氏族とハラチン、メルキト軍閥の対立によって遊牧騎馬民の軍閥が没落し、元軍の戦力は低下しました。ついで中国農民の反乱を鎮圧できなくなり、1368年に元朝は植民地である中国を失い、モンゴル高原に退却しました(日本では伝統的に北元と呼ぶ)。中国史(元史など)では元朝はここで滅びたことになりますが、実際は、中国の明王朝はモンゴルの元朝から独立したというべきでしょう。
チンギス・ハーンの血を引く正統な最後のモンゴル大ハーンであるリンダン・フトゥクト・ハーンは、1634年にシラタラ(今の中国甘ム省にある)で亡くなって、モンゴル人は自分の国を失ってしまいました。それ以来、18世紀半ばにジュンガルが滅ぼされ、オイラドモンゴルは満州人に皆殺しされたことなどがありましたが、以下に最近の100年の出来ごとを見て見ましょう。
1891年に、ジョソトおよびジョオダ盟で「金丹道暴動」が発生しました。侵入してきた中国人は反乱を起こし、「人を殺し土地を奪う」スロガンの下で、僅か50日間に十万人以上のモンゴル人が殺されました。何十万人の人が北へ逃げ、興安嶺の麓まで避難したといいます。あの時の悲惨さは、言葉で表わせられないほどのものだったと伝えられています。
皆さんご存知のように、今年はノモンハン事件(モンゴル国呼称:ハルハ河戦争)70年となります。このハルハ河の岸で行われた戦争は、自主自決能力を失ったモンゴル人同士の間で強制的に行われた戦争です。社会主義のトッブであるソ連と日本帝国との対立において、モンゴル人が犠牲者になったわけです。戦死者数はソ連軍7974人、日本軍8440人と記録されてありますが、モンゴル人の犠牲者は書かれてありません。「モンゴル人同士が武器を持って戦うというのが大変痛ましいことだ」と言うモンゴル人がいれば、消極的とされ、弾圧され、モンゴル国だけでも3万人のモンゴル人が犠牲になったといいます。
1949年の中華人民共和国成立後、南モンゴル(内蒙古自治区)ではモンゴル人に対する激しい弾圧が繰り広げられました。無産階級文化大革命時には、50万人のモンゴル人が「内モンゴル人民革命党」の「冤罪」を被せられ、逮捕され、また殺害された人は3万人以上に上るといわれています。モンゴル人だから、という唯一の理由で殺害されることは、中国共産党によるモンゴル人ジェノサイド以外の何ものではないでしょう。
今、南モンゴルでは人口の80%が侵入した中国人で占められ、遊牧は強制的に停止させられ、モンゴル人は草原を奪われ、草原は中国人の畑に変えられています。また、南モンゴルの豊富な地下資源は中国人に略奪され、中国人の乱開発のため、豊かな草原はめちゃくちゃになってしまいました。
国を失っては個人的な幸福は掴めません。民族の自主自決権を奪われては、一人ひとりの人権自由などは存在できません。歴史と現状はこれを強く証明しています。
また、チンギス・ハーンはただの征服者でしょうか。近年よく流行る「グローバル化」がチンギス・ハーンの時代に実行されたことがあります。今も全世界に広がる民主自由人権はチンギス・ハーンが唱えたものでもあります。さらに、地球温暖化、砂漠化などに世界中で幅広い関心が寄せられていますが、チンギス・ハーンの創った「イヘザサ(大法令)」の相当の部分が自然環境を守る法令でもありました。このため、モンゴル人が自分の祖先であるチンギス・ハーンを敬愛し、祭祀することに何の間違いもないことを確信しています。
過去1000年間で人類に貢献した偉大な人物たちの中で、チンギス・ハーンはそのトップとして世界中で尊敬されています。「われわれはチンギス・ハーンの子孫だ、われわれはモンゴル人だ」という誇りをもち、チンギス・ハーンを祭祀することは、モンゴル人の生存、人権、独立および全モンゴル人の統一にとって、特に意義のあることだと思います。
天の子守唄
オユンナ・夏川りみ等
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